〈愛〉とは、ほんとに神秘的で不思議なものです。愛は〈愛し方〉によって愛の様相が一変してしまいます。〈愛し方〉によっては、人と人の心を交わらせ、天国に導くこともあれば、人の心を傷つけ、地獄の苦しみを招くこともあるんですから。〈愛し方〉はむずかしいです。過剰でもだめですね。砂糖を入れ過ぎたコーヒーみたいで、吐き出したくなりますね。少な過ぎてもだめ。甘みの足りないお汁粉みたいです。この〈愛し方〉がよく分からないという人が、最近多いようですね。よく聞きますでしょ、〈愛し方が分からない〉という言葉を。これは、何か異性にアプローチできない人を郷楡する言葉らしいです。特にそういう人が男性に多いとか。でも、私は、〈愛し方が分からない〉という人は未婚者だけでなく、既婚者にも多いように思います。それは、〈愛し方〉を知らないまま、婚前に学習しないまま、幸運にも(?)結婚できたからだと思います。〈今は、愛し方が分からないけれど、結婚したら分かる〉と思って。そう。それが幻想なんです。〈今は、愛し方が分からないけれど、結婚したら分かる〉。それは、ありえないとは申しませんが。むずかしいと覚悟したほうがよいでしょう。結婚しても愛し方が分からない人がいるというのは、結婚前もそうですが、結婚しても愛し方を学んでいないからですよ。それは、〈愛し方〉の学習がむずかしいからではなくて、とにかく学んでいないからなんです。私は、愛し方が分かっている人が、人を愛することができる人が、結婚するものだと思っているんです。もちろん、愛は育つってことがありますけど。愛することに成熟するということもありますから、一人の人との愛の関係を築く日々の営みを通して、愛するとはどういうことか、愛されるとはどういうことかを学ぶことができると思います。そういう意味では、前にも紹介したトルストイの言葉のように、一人の人を愛することで人間は幸福になる」のだと思います。ですから、幸福になりたい人は一人の人を愛すること、愛の関係に身を投じてみてはいかがかと思います。でも、結婚によって幸福になることをほんとに望み、実現したいのなら、〈結婚すれば、愛し方が分かる〉などといった幻想を抱かずに、結婚前に愛し方の実践を、愛し方の学習を少しでも(いや、たくさん)したほうがいいんじゃないでしょうか。